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30歳で乳がんを告知されてどう思ったか

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乳がんの発症ピークは40代後半から増加するとよく聞きます。

しかし私が発症したのは30歳の時。

これは乳がん患者全体の約2%という低さらしいです。

30歳というとまだまだ働き盛り。

そこで今日はそんな年齢で乳がんを発症してしまった私が思う考えを書いてみようと思います。

私の乳がんプロフィール

私の乳がんプロフィールはこちら↓↓

  • 粘液がん(純型)
  • ステージⅠ
  • グレード2
  • ki67 31%
  • ホルモン受容体

発症は30歳の年。

AYA世代というやつです。

(AYA世代=Adolescent&Young Adult:15~39歳にがんを発症した世代のこと)

乳がん細胞に言いたいこと

「よくも人生を狂わせてくれたなコノヤロー!!ヾ(。`Д´。)ノ彡」

です!

乳がんにならなければ治療も手術もせずにいられたのに・・・。

精神的な不安や経済的な負担も無かったのに・・・!

体調が悪くなるたびに余計な不安を抱えることもなかったのにぃぃ!!!

と叩き潰したいほど憎たらしく思っていますヾ(`・Д・´怒)

引き続き薬という武器を使って体のがん細胞をぶっ潰してやりたいと思います!

たまに「がんになって良かった」みたいなことを耳にしますが、私はそんな風には思えません。

嫌なもの嫌です。

乳がんになって気づいた点、気づかされた点は確かにありましたが、「なって良かった」とは1ミリも思えません。

健康が一番いいですよ(。_。(゚д゚(。_。(゚д゚ )うんうん

乳がんになって失ったもの

それでは具体的に乳がんになって何が嫌なのか挙げていきましょう。

乳がんになって私が失ったと思うものはこちら↓↓

  • 右胸
  • 左足の脂肪と血管
  • 健康
  • 時間

がんができてしまった右胸、そしてそれを補うために使った左足の物理的な切除は自分で決めたことなので、まだ納得できています。

病変と一緒に生きる方が私にとっては不安だったので、手術を待ってる間は

「早く切ってくれぇ!」と毎日毎日思っていました。

一番きついと思うのが「時間」です。

通院に使う時間はもちろん、

治療の副作用などで体調を崩して仕事や予定をお休みする、

ドタキャンをしないように先に自分で休みを作るなど

本来なら連続して予定を詰めたいところを1日置きに休みを作るとかしなければなりません。

ドタキャンはしたくない・・・!

乳がんになって気づいたこと

①未来より今の方が大事

告知されてまず思ったのが

「もう人生終わり?まだやりたいことあったのに」

と悲しみや後悔でした。

人間いつ終わりが来るかわかりません。

もしもまた次に同じようなことが起きたとき、せめて自分の人生に後悔はしない生き方をしたいと思うようになりました。

例え志半ばで終わりそうになっても「まあ、やりたいことをやってきた人生だったな」と思えたら幸せだなと。

未来も大事です。

でも先のことばかり気にして今に幸せがなければ意味がないかなと。

今も楽しんで生きたいですね!

②救ってくれるのは人

仕事をはじめ、何かをする上で悩まされるのが人間関係。

時には心や体を壊しにくるのも人ですが、

落ち込んだ時に救ってくれるのもまた人だなと痛感しました(-ω-*)ウンウン

家族や友人、仕事仲間、先生、病院関係者、会ったこともないSNSで繋がった人たち、たまたま内科の待合室で隣に座っていたご婦人等に「大丈夫だよ」と元気づけられてきました。

告知直後はあまりのショックで一時顔に麻痺っぽい感じも出たんですが、

人と話すことで、笑うことで幸いにも自然に治癒できました。

(ストレスが原因だったんでしょうね・・・)

今日自分が笑っていられるのも周りのも優しい人たちのおかげです(*- -)(*_ _)

③休むことは逃げじゃない

治療の影響で不調になることが増えてしまいました。

頑張れるときもあれば、本当に無理な時もあります。

予定したスケジュールがきちんとこなせないことに当初ストレスや焦りを感じていましたが、

最近は「無理な時は休もう!」と思えるようになりました。

だってその方が回復が早いから。

無理して作業する精度よりも調子の良いときにやる精度の方が絶対にいいはず!

だんだん「会社で働く」というのが今の自分に合っていないかもと思うようになってきましたね。

本格的にフリーランスとして踏み出してみようかと思うようになりました。

④外に行かないと働けない

体調不良よりも厄介なのが「疲れやすくなってしまった」こと。

どうやら移動に体力や気力を使っているようで、

1日働いて帰ってくると疲れすぎて空(くう)を見つめている時間がひどいときは1時間以上あったりするときもあります。

かといって体調優先にして働く時間を減らすと体は楽だけど経済的には苦しくなっていくので悩ましいところ。

そこで考えたのが「自宅で働く」こと。

社会復帰をして数か月経っても体力が全快しないことに不安を感じ、

ネットでいろいろ調べてみたら「ブログで稼ぐ」という手法があることを知り、

自宅でもお金を稼げる可能性があるのかと知りました。

他にももともとナレーターになりたいと勉強をしていたので

体力が戻るまでは宅録という形でナレーションのお仕事をやっていこうかなとも。

新しいことをするなら新しく学ばなければいけないこともたくさん出てきますが、

家の中でもできることがあるならチャレンジしてみる価値はあるかと思っています。

⑤健康保険って心強い

これは本当に助かりました。

こんなにも手厚い制度なのかと。

正直、窓口負担3割くらいしか知らなかったので・・・笑

高額療養費制度、傷病手当金には本当に助けられました。

仕事量を減らして貯金と保険金を切り崩しながらも

今日までカツカツの生活をしていないのはこの二つの制度のおかげです!

(d保険料を収めているのは自分なんだけどね笑)

被ってやってきたコロナ禍

乳がんの告知されて間もなく世界も大変な異常事態になっていきます。

新型コロナウイルスです。

私の通院や入院、手術、検査、治療にも大きな影響がありました。

入院時の面会時間の制限や通院時の付き添い人数の制限もありましたし、

抗がん剤スタートを予定より1か月遅らせるなんてこともありました。

私が自宅から出られない日々が始まるころには世間もステイホームと言われ、

今まで体験したことがないくらい生活がガラリと変わっていきました。

それが「辛い思い、不安な思いをしているのが自分だけではない」と感じて

孤独感や不幸を感じることは軽くて済んだところもあります。

ただ第1波あたりで抗がん剤をしていたので、感染症に対して余計に不安になっていたのはありますがね・・・。

これが不安の重ね塗りだったのか、不幸中の幸いだったのかは今でもよくわかりません。

まとめ:乳がん闘病3年が経って思うこと

失ったものと気づいたもの、個数で比べると気づいたものの方が多いですが、

それでも失ったものの方が大きいと感じます。

気づいたことも、たぶんですが生きていたら遅かれ早かれ気づけたことなんだろうなと思いますしね。

でも何があろうとこの現状を受け止めなければ何も始まりません。

後悔して何か変わるならしたいですが、残念ながら後悔していても何も物事は進みません。

過去は過去。今は今。

今の自分ができること、したいことをやれるようにしたい。

後悔がないように、あるいは少ないように生きたい。

そう思うようになりました。

今回も最後までご覧くださりましてありがとうございました!╰(*´︶`*)╯Thank you.♥